尾崎「挑戦したこと間違っていなかった」

尾崎選手は「準々決勝の敗北から気持ちを切り替えて臨んだ3位決定戦で勝ててほっとしているし、応援してくれた人には、どん底を見たあとにはい上がったことで勇気とか諦めない姿勢を見せられた。銅メダルだが、応援に来てくれた母や友人にいい姿を見せられた」と笑顔を見せました。
また、階級を上げて1年足らずでオリンピックの舞台に立ったことについて「挑戦したことは間違っていなかった」と振り返ったうえで、「4年後を目指そうと思えたので次に向けて頑張りたい」と早くも4年後のロサンゼルス大会に意欲を示しました。

「チャンスがあるならやるしかない」

尾崎選手は「階級変更」してから1年足らずでオリンピックへの切符をつかみパリの舞台に立ちました。

小学生のころから全国大会を制し、その後も数々のタイトルを手にしてきた尾崎選手。

抜群のスピードからの片足タックルを武器に2022年の世界選手権では62キロ級で頂点に立ち、関係者の間では「パリのこの階級は尾崎で間違いない」などど言われてきました。

しかしパリオリンピックの代表選考がかかった国内大会でまさかの敗戦。この階級の代表の座は別の選手に奪われました。

オリンピックへの道は閉ざされたかと思われたやさき、尾崎選手にチャンスが訪れました。

68キロ級で出場した石井亜海選手が代表選考となる去年9月の世界選手権でメダル獲得という条件を満たせずパリ大会の代表内定は持ち越しになったのです。

「チャンスがあるならやるしかない」と、急きょ階級を上げることを決断。

専属トレーナーのもとで筋力トレーニングを積んだり、食事の量や回数を増やして徐々に体重を増加させたりして、階級変えてからおよそ3か月後の全日本選手権でこの階級では初優勝を果たしました。

そしてパリへの切符をかけた石井選手とのプレーオフではリードを許す展開となりながらも残り10秒を切ったところから「自分が信じてきた技を出す」と得意の片足タックルからポイントを奪い、逆転で代表の座を射止めました。

階級を上げてわずかな可能性をものにして代表をつかんだことに尾崎選手は「1年前には全く考えていなかった未知の階級だが、力負けせず、私の持ち味であるスピードで勝負したい。足踏みすることなく前に進んでいきたい」と大会への意気込みを口にしていました。

関係者も「極めてまれ」と驚く、階級変更から1年足らず。

目指してきた金メダルにこそ届きませんでしたが、一度は閉ざされたオリンピックへの道をあきらめずに追い続けた21歳が銅メダルをつかみました。

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