今年8月に阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)が100周年を迎える。7月に91歳になる吉田義男さん(プロ野球阪神の元監督)に甲子園とは何かと問うと、即答した。

 「親しみというか、もう人生の一部です。1953年にタイガースに入ってから、71年も一緒に過ごしてきましたから」

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 甲子園の最も古い記憶は1950年8月13日。日付まではっきりしているのは、その日、京都・山城高の遊撃手として第32回全国高校野球選手権大会の1回戦に出場したからだ。開幕日の第2試合で北海(北海道)に3―5で敗れた。

 「甲子園は、真っ白でしたわ。戦争で供出されたから(スタンドの)鉄傘はなかったし、物のない時代でお客さんはみんな白い服でしたからね。(打球の)強弱も遠近も分かりにくくて。フライが上がったら僕だけじゃなく、みんな戸惑った」

 そんな鮮烈な印象を持った球場を本拠に、プロとして17年間プレー。甲子園の「名物」に悩まされた。

 「今も『はま風』と言いますけど、そんなに影響ないと思いますよ。僕が入団したころは球場の周りに建物自体が少なくて、海から強風が吹きつけた。ライトフライが本当に風で(グラウンド側に)かえってくる。打球判断が巨人戦の結果を左右した、なんてことが何度もありましたよ。本当に、フライを捕るのが難しい球場でしたわ」

 内野の名手。手入れの行き届いたグラウンドで、どうゴロをさばくかが見せ場だった。

 「1年目に38個、エラーしました。当時、藤本治一郎さんというグラウンドキーパーがいてね。エラーしたら『(原因は)グラウンドか?』って僕たちを気遣ってくれた。いつも、鏡のようなグラウンドを作ってくれてました。今も阪神園芸のみなさんがいますが、そういうプロがいるからこそ、タイガースは代々、いい内野手が育つんですな」

選手として62年と64年に優勝を経験した。当時の藤本定義監督にまつわる逸話があるという。

 「あのころは選手の入り口が1カ所しかなくて、ホームもビジターも、一塁側からベンチに入った。当時は巨人が強い時代。藤本さんは、巨人の川上 (哲治)監督が一塁側のベンチ前を通る時に『おう! テツ』って呼びかけてね。巨人でも監督をしていた方でしたけど、わざとそういう言葉遣いをしてた。劣等感じゃないけれど、僕たち選手を奮い立たせようということだったんでしょう」

 遊撃や二塁を守り、69年に現役を退いた。引退試合になった甲子園での中日戦の観客は、わずか1500人だった。

 「当時、下位に沈んだシーズンは、本当にお客さんが少なかったですね。(ある年の9月の試合で)ほとんどお客さんがいなくて、中秋の名月がレフトの方からすーっと上がってきて。その時のさびしさというのは、ふと思い出しますね。ヤジの声もきつかったしねえ。今はいつもたくさんのお客さんが入ってくれて、ありがたいですね」

 引退後は監督としてチームを率い、85年にはセ・リーグ制覇と球団初の日本一を果たした。

 「やっぱり、ラッキーゾーンがあったのは大きかったですね。(左打ちではま風の影響を受ける、ランディ・)バースが2度三冠王になった。やっぱり、ラッキーゾーンがあったから。バースもだし、(左打ちの)掛布(雅之)も引っ張るだけじゃなく、(飛距離が出にくい左翼側に)打ち分けられた。監督として、ホームランがあるとないとでは(違うから)ね」

 選手として、監督として幾多の勝負を甲子園で繰り広げてきた。最も印象に残っている試合を尋ねると、間髪入れずに答えが返ってきた。

 「甲子園で一番の思い出と言えば、やはり85年の4月、バース、掛布、岡田(彰布)のバックスクリーン3連発。あれから選手たちは自信をつけていった。あの試合はもつれて、九回に(ウォーレン・)クロマティと原(辰徳)に連続本塁打を打たれて6―5になった。最後、中西(清起)が抑えてやっと勝った。中西が(抑えとしての)デビューをしたのも大きかった。当時は巨人に勝つことが優勝につながる時代。巨人の選手は満員の甲子園で、本当に敵地というのを味わっていたと思いますよ」

 高校野球を、プロ野球を支えてきた聖地は、次の100年に向けて時を刻んでいく。

 「甲子園が100年ですからね。僕も100歳に向かっていきたいですね」(松沢憲司)

 よしだ・よしお 1933年生まれ。京都府出身。53年、立命大1年生のときに阪神入団。内野手として軽快な守備で「牛若丸」の異名をとった。ベストナイン9度、盗塁王2度。監督として85年に球団初の日本一に。92年、野球殿堂入り。

甲子園にまつわる思い出、教えてください

 1924年8月1日に開場した阪神甲子園球場は今夏、誕生から100年を迎えます。心を揺さぶられた試合、甲子園でつながった人との出会い、切ない思い出……。高校球児の聖地にまつわるみなさんのエピソードを募集します。投稿はメール(koshien100@asahi.com)で住所(都道府県と市区町村)、氏名、年齢、職業、電話番号を明記してお寄せください。はがきや封書も可。あて先は〒530・8211 朝日新聞大阪本社ネットワーク報道本部、「私と甲子園」係へ。

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