“弱音吐かずコツコツ”
岡選手は、柔軟性のある美しい演技が持ち味で、ことし5月のNHK杯で初優勝を果たし、初めて日本代表に選ばれました。
地元・岡山で小学2年生から体操クラブに通い始めた岡選手は、練習では器具はほとんど使わず、倒立や柔軟など、基本姿勢を徹底して繰り返してきました。
当時、岡選手を指導した三宅裕二さんは、「弱音を吐かず、コツコツとやっていました。当時から、体操にかけたいという思いがすごくあった」と振り返ります。
そして、15歳で出場した世界ジュニア選手権で個人総合を制し、「日本の宝」とまで呼ばれ、大きな期待を集めるようになりました。
おととし 大きな試練に直面
順風満帆だった岡選手が大きな試練に直面したのは、おととしの全日本選手権でした。
跳馬の着地に失敗し、右足の前十字じん帯を断裂する大けが。手術を受け、一時はオリンピック出場も危ぶまれる状態でした。
“前を向くしかない” 苦手な「つり輪」克服へ
それでも岡選手は、「パリを見据えていたから前を向くしかない。パリ大会でメダルを獲得することだけを考える」とあえてこの期間を使って、苦手な「つり輪」の克服に取り組み始めました。
上半身の力が最も必要なつり輪は、日本選手の多くが苦手としているため、「日本に必要なパーツだと思ってもらえる」と考えたといいます。
つり輪の出来栄えで欠かせない基礎的な「倒立」を繰り返したほか、高難度の技、『中水平』を習得した結果、技の難しさを示すDスコアはけがをする前と比べて1点近くも向上し、岡選手の武器の1つとなりました。
「日本の宝」が磨いた技術 世界から称賛
パリ大会の男子予選は、「緊張した」としながらも、鉄棒やゆか、それに平行棒などで着地をピタリと止め、手足の先まで伸びた美しい体操を見せて高いEスコアをマークしたほか、磨いてきたつり輪でも安定した演技で2位で個人総合の決勝に進みました。
中でも、ゆかの演技は岡選手の美しい倒立姿勢に会場から歓声が上がるなど、『日本の宝』が磨いてきた技術は、世界から称賛を浴びました。
思い続けてきた個人総合での金 4年後へ
大けがを乗り越え、努力を続けてきた成果がパリの大舞台で実を結び、幼少期から思い続けてきた個人総合で金メダルを獲得した岡選手。
4年後のロサンゼルス大会で、連覇を目指します。
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