パリオリンピックのスケートボード・女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋選手。偉業を成し遂げた14歳に、スケートボードを一から教えたというコーチは、実は島根県益田市出身のプロスケーターでした。若き金メダリスト誕生の秘話をTSKが単独インタビューしました。

現地時間の7月28日、スケートボード、女子ストリート決勝…。

実況:「金メダルに恋した14歳!」

表彰台の一番上に立った14歳の中学3年生・吉沢恋選手。その若さととともに注目されたのが所属先です。地元・神奈川県の小さなスケートショップだったことが大きな話題を集めました。そのショップを運営するのが、益田市出身でプロスケーターの寺井裕次郎さん(40)。吉沢選手に一からスケートを教えた、いわば「金メダリストの育ての親」です。
寺井さんはショップを経営する傍ら、近くにスケートボード場を作り、スクールの講師としても活動。今でも吉沢選手に指導を続けています。

寺井裕次郎さん:
ほんと(パリに)行く前に打ち合わせした話。(演技を)あれして、こうして、こうしようという話をその通り彼女がやってくれて、なので本当に狙った通りというか、流れが完璧の完全勝利でしたね。

パリでの演技構成も寺井さんが考えたといいます。寺井さんは、吉沢選手がスケートボードを始めた7歳の頃から指導してきました。

福島睦アナウンサー:
Q始めた頃はどんな選手だったんですか?

寺井裕次郎さん:
いやーもう全然普通の女の子って感じです。特別才能がずば抜けているわけでもなく。むしろ他の子たちの方が上手かったですね。

それでも…。

寺井裕次郎さん:
まず始めた環境が良かったのがあります。当時みんなプロスケーターとかが、あそこで練習していたし。

吉沢選手の練習拠点だった神奈川県相模原市の小山公園ニュースポーツ広場。ここで、幼いころからパリオリンピック日本代表の白井空良選手など、数々のトップスケーターと共に練習してきました。

寺井裕次郎さん:
気付いたら恋ちゃんの頭の中は、あそこ基準になってて、気付いたらあんな上手さになっていました。

整った練習環境の中、ぐんぐんと実力を伸ばしていく一方、寺井さんの指導方針は意外なものでした。

寺井裕次郎さん:
恋ちゃんは、SNSとかそういうのやってなかったので、お父さんお母さんも。大会情報とかあんまりゲットできず。逆に俺はそれを逆手にとってあえて教えず。出たら勝っちゃうというか、ある程度良い結果出ちゃうから。もう出なくていいと思い、ずっとそこで練習、練習、練習ってやってて。

「あえて大会に出場させない」という驚きの育成法!寺井さんの独自の指導のもと、吉沢選手は黙々と努力を続け、14歳の若さで世界の頂点に立ちました。

世界一の選手を育成した寺井さん。スケートボードと出会ったのは意外と遅く、20歳のころでした。益田市の明誠高校を卒業後、プロバスケットボール選手をめざして東京の大学に進学しましたが、挫折。この時、友人からの誘いで始めたスケートボードの虜になりました。

寺井裕次郎さん:
自分がトリック決めたらそれ全部自分のもん。なのに周りのみんなはほめてくれる。何だこれと思って。こんなことあるんだと、ほんとに気持ちいいと思って。

多くのトップ選手が幼いころから経験を積んでいる中、20代からプロスケーターを志した寺井さん。

寺井裕次郎さん:
遅いってみんなに言われていた。今からは無理だよって。でも心の中で『無理?無理って誰が決めるんだよ』って。そんなのやってみないとわからないじゃんって。

競技を始めてから7年で、国内の主要大会で3位に輝くなど、才能が開花しました。現在も現役のプロスケーターでありながら後進の育成に励んでいます。そして、地元益田市の盛り上げにも取り組んでいます。毎年、スクールに所属するスケーターたちを引き連れ益田市で合宿。市内の公園で、スクール生たちがパフォーマンスを披露するイベントも開催しています。

寺井裕次郎さん:
市最大級のイベントです!くらいを目指して年に1回やりたいですね。音楽、スケボー、フード、ダンスも入れてもいいし。そんなイベントが出来たらなと思って何十年もやっています。僕が動ける限りでは、全力で島根県をサポートするので。

金メダリストを育て上げた益田市出身のプロスケーターは、スケートボードを通じて地元を盛り上げようとしています。

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