史上初のきょうだい連覇にかけた思い
阿部選手が柔道を始めたのは6歳から。
阿部選手を追いかけるように詩選手も5歳のときから柔道を始めました。
その後、ともに東京オリンピックを制して金メダルを獲得してからも刺激し合う仲のよい2人はその後の国際大会でもそろって負け知らずでした。
史上初のきょうだい連覇にも強い思いを抱いていて阿部選手が「2人でやるべきことをやるだけ。お互いに信じ合って、最高のパフォーマンスで2連覇する」と話せば詩選手も「ずっと兄と2人で戦ってきたので、今回のパリオリンピックも兄と2人でしっかり金メダルを取って日本に帰りたい」と意気込みを語っていました。
詩選手 まさかの展開が
東京大会では、詩選手が先に金メダルを獲得し、阿部選手の試合を待つ形でしたが、今大会は逆の立場に。
詩選手はチャンピオンとして臨む今大会、「簡単な試合は1試合もないと思っている。苦しい戦いが続いても、泥臭くても勝てる柔道でいきたい」と油断はありませんでした。
しかし、初戦の1回戦で一本勝ちして臨んだ2回戦は第1シードでウズベキスタンのディヨラ・ケルディヨロワ選手との対戦。
先に得意の内股で技ありを奪ったものの、その後、一瞬のすきを突かれて帯を取られての「谷落とし」で逆転の一本負け。
畳から降りたあとはあふれる涙を止められず、崩れ落ちたまま、身動きが取れなくなりました。
コーチに支えられ、なんとか畳をあとにし、取材に応じたのは試合から3時間後。
涙をこらえきれない中で「サポートをしていただいて、背中を押していただいて、この日を迎えることができた。感謝の気持ちでいっぱいです。期待に応えられなかった自分の弱さと向き合いながら、すごしていきたい」と気丈に答えると兄へのエールを送りました。
「本当に信じています。兄は絶対やってくれると思うので、全力で応援したい」。
そのとき兄は
詩選手の試合を阿部選手は映像で見ていました。
敗れた瞬間をともにモニターで見ていた男子代表の鈴木桂治監督は「何も声に出していないが、気持ちと心と体がキュッと引き締まったように見えた」と雰囲気の変化を感じ取ったといいます。
そのとき、詩選手を「すぐに抱きしめてあげたかった」という阿部選手。
しかし、試合が続くため、声をかけることすらかなわず、ただ、「妹の分まで戦うということだけを言い聞かせた」と胸に秘めて畳に向かいました。
圧倒的な柔道で連覇
そして、詩選手が敗れたあとの準々決勝。
鼻血が止まらず、2回も治療を受けるアクシデントに見舞われながら背負い投げと袖釣り込み腰という自分の得意技で完勝。
続く準々決勝、準決勝も勝ちあがって迎えた決勝戦。
詩選手も観客席からその姿を見守っていました。
隅落としで技ありを奪うと、最後は代名詞の「袖釣り込み腰」を決めて合わせ技一本。
追い求め続けてきた圧倒的な柔道で2連覇を果たし、詩選手から託された思いにも応えて見せました。
そして、正座で深く礼をして畳を降りると喜びを爆発させました。
そして、「この舞台で試合できて、金メダル取れたら最高だな、幸せだな」と興奮を隠しきれない一方で「妹が負けて、兄としてそれを表に出したらいけない。正直きつかったし、苦しかった。外には出さないし、見せないけど、そんなに簡単な道のりじゃなかった」と妹への思いとともにみずからがたどってきた東京大会からの3年間の道のりがいかに厳しかったかについても率直な思いを口にしました。
再び、妹とともに勝つ
2連覇という偉業を成し遂げた阿部選手ですが、満足したわけではありません。
再び、「妹とともに勝つ」ことをすでに見据えています。
「詩は負けてしまったけど、決してむだじゃない。落ち込むとは思うけど、こんなところでは終わらない。4年後、絶対にきょうだいでオリンピックの舞台に立って、絶対に優勝したい」と胸を張って意気込みました。
そして詩選手になんと声をかけるかをたずねると「大丈夫。また一緒にやろう」と力強く答えました。
詩選手もきょうの取材で、「きょうの負けを忘れずにいつか自分自身、皆さんが笑える日にできればいいかなと思う」とも話しました。
実力者ぞろいの柔道界にあってもぬきんでた強さで存在感を示し続けてきた阿部きょうだい。
そろっての2連覇という快挙こそなりませんでしたが、もし2人が4年後のオリンピックを目指すなら新しい強さに期待できそうです。
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