1924年パリ五輪で開会式が実施されたコロンブ競技場

 第33回夏季五輪は1924年以来、100年ぶりのパリ開催となった。当時の新聞や記録をひもとくと、世紀を隔てて開かれる大会は、ひと目で様変わりしたことが分かる。

競技は春から夏にかけ

 パリは近代五輪の創始者、ピエール・ド・クーベルタン男爵の古里。1900年の第2回大会で初めて五輪が開催され、第8回大会はクーベルタンが国際オリンピック委員会(IOC)の会長として臨む最後の大会でもあった。

 「五色連鎖のオリム(ン)ピック会旗は高く掲げられ……」

 24年7月6日、毎日新聞の前身・東京日日新聞は「濃緑の上衣に赤白のネクタイ 勇ましい日本選手」の見出しで、開会式の華々しい様子を伝えた。

 大会には44カ国から約3000人の選手が参加した。現在と大きく異なるのが、5月上旬~7月下旬の大会期間。春から夏にかけて競技があり、春は芸術競技で幕を開け、ラグビー、サッカー、ポロ、フェンシングなど6競技が先行して実施された。主要競技が開かれる夏は陸上や水泳、体操、レスリング、テニスなど13競技があった。

 日本は陸上、水泳、レスリング、テニスの4競技に19人が出場。唯一、メダルを獲得したのがレスリングだった。フリースタイル・フェザー級の内藤克俊が練習中に左手の指をけがするアクシンデントがあったものの、銅メダルに輝いた。

100年ぶりとなるパリ五輪。前回のメイン会場は「イブドゥ・マノワール競技場」と名前を変えて、今大会はホッケー会場として使われる=AP

 メイン会場は、パリ郊外のコロンブ競技場。陸上競技の会場でもあった。ここでのレースを題材にしたヒュー・ハドソン監督の映画「炎のランナー」は米アカデミー賞で4部門を受賞した。

 その舞台は「イブドゥ・マノワール競技場」と名前を変え、今大会はホッケー会場として使われる。大会第3日の28日、日本女子はドイツとの初戦をここで迎える。

引き継がれてゆく「選手村」

 第8回大会で初めて登場したのが、選手村だ。日本オリンピック委員会(JOC)監修の「近代オリンピック100年の歴史」などによると、選手村はコロンブ競技場近くにあり、4人収容の木造コテージが50戸ほど建てられた。村内には郵便局、美容院などもあったという。

 その後、選手村は後の大会に引き継がれた。今大会の選手村はパリ市郊外のサンドニ地区などに建設。期間中は選手ら約1万4000人が滞在する予定だ。ジェンダー平等を理念に掲げる今大会は初めて「育児室」も設置され、選手は子どもと過ごせるという。大会後、選手村は住宅や学校などを含む新たなまちとして生まれ変わる。【高橋広之】

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