パリ五輪について語る、元駐フランス大使の小倉和夫さん=東京都港区で2024年7月3日午後2時44分、田原和宏撮影

 パリ・オリンピックが26日に開幕する。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のさなか、無観客で開催された東京五輪から3年。再び五輪の季節を迎える。疫禍の祭典は国民世論を分断し、大会後は汚職と談合事件の舞台と化した。「花の都」で開かれる五輪とどう向き合うべきか。元駐フランス大使で、日本財団パラスポーツサポートセンター・パラリンピック研究会代表の小倉和夫さん(85)に聞いた。【聞き手・田原和宏】

 東京五輪・パラリンピックの招致活動に携わり、開催が決まってからは障害者スポーツの普及に努めてきた。その立場で言えば、東京大会は開催することに意味があった。

 大会準備を通じてパラリンピックやパラスポーツの認知度は高まり、支援体制も整った。厳密には切り分けられないが、五輪が「スキャンダルまみれ」であったとしても、パラリンピックは大きなレガシー(遺産)となった。

 五輪とカネを巡る不正は今回から始まったわけではない。とはいえ、大会後の汚職事件によって五輪のイメージダウンにつながったのは残念だ。東京五輪によって国内のスポーツ熱は高まらなかった。国立競技場こそ建て替えられたが、競技環境も充実したとは言い切れない。

 むしろ皮肉なことだが、歴史的な視点で見れば、無観客開催によって五輪の原点を考えるきっかけになったのではないか。五輪はアスリートのためのものであり、「参加することに意義がある」。

 一方、障害者スポーツを支援する立場からすれば、懸念もある。五輪のモットーである「より速く、より高く、より強く」という能力主義が、パラリンピックにおいても強まりつつある。スポーツの奨励は本来、障害者の社会参加のためであり、大会の生みの親であるグットマン博士が強調した「友情」「結合」といったパラリンピックの原点から遠ざかる恐れがある。パラリンピックが盛り上がるほど肝心の障害者から遠ざかる「パラドックス」が生じる。

 能力主義はどこまで追求すべきだろうか。東京五輪には205カ国・地域と難民選手団が参加したが、そのうち金メダルを獲得したのは65、メダルの色を問わず一つでも手にしたのが93(大会終了時)。3分の2の国・地域が金メダルを取れず、約半数はメダルすら届かなかった。その裏返しではあるが、日本を含めた上位6カ国で金メダルの半分近くを寡占した。

 「国家間の競争ではない」とされる五輪だが、ナショナリズムに裏打ちされた国別のメダル争いになっているのが現実だ。果たして、五輪憲章のいう「平和な社会の推進」「人類の調和のとれた発展」に五輪はどこまで貢献しているだろうか。

 五輪の原点に照らし合わせれば、パリ五輪も疑問がある。例えば、開会式でセーヌ川を船で下り、トライアスロンでも泳ぐ。エッフェル塔の下でビーチバレーをし、ナポレオンの墓があるアンバリッド(廃兵院)でアーチェリーの矢を放つ。いずれも本来、スポーツのための場所ではない。SNS(ネット交流サービス)映えする、パリの名所を見せたいのだろうが、安易すぎる。巨額の放映権料に支えられる国際オリンピック委員会(IOC)の構造的な問題が背景にある。

 私にとって、パリは東京をのぞけば、外交官として最も長く暮らした思い入れのあるまちだ。パリに愛着のある一人としては違和感がある。

 能力主義、メダル至上主義、ナショナリズム、商業主義――。五輪そのもののあり方が問われている。

おぐら・かずお

 1938年生まれ、東京都出身。東京大法学部、英国ケンブリッジ大経済学部卒業。韓国大使、フランス大使を歴任。東京五輪・パラリンピック招致委員会評議会事務総長などを経て、現職。

ほかに2人の識者からもうかがいました。
アドリブのフランス、マニュアルの日本 意外な共通点
「五輪災害」は東京もパリも同じ 構造的な問題

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。