力投する三菱自動車岡崎の笠井建吾投手=愛知・岡崎レッドダイヤモンドスタジアムで2024年6月7日、兵藤公治撮影

 第95回都市対抗野球大会に出場する三菱自動車岡崎(愛知県岡崎市)の右腕・笠井建吾投手(25)の野球人生は波乱に富んでいる。

 名古屋市出身。小学1年から野球を始めた。愛知県立明和高から慶応大を目指した。大学トップレベルの世界で野球がしたかったからだ。

 だが、受験した同大の6学部は全て不合格。愛知県内の大学に進んだが、慶応大への思いを捨てきれず、半年間休学し、仮面浪人しながら毎日10~12時間机に向かった。

 2018年、晴れて慶大生になったが、ここでも試験が待っていた。この年から新入生練習会での選考に合格することが野球部入部の条件となる「スタンドバイ制度」が始まり、選考に漏れたのだ。

 そして、さらにショックな事実が判明する。高校時代に痛めた右肘に違和感を感じ、病院に行くと靱帯(じんたい)が切れていた。復帰するまで1年以上を要する靱帯(じんたい)再建手術(通称トミー・ジョン手術)を決断した。

 手術後、春の早慶戦を見た。超満員の観客が見守る中で躍動する慶応の選手たちがまぶしかった。「自分もここで投げたい」。リハビリに一層熱が入った。6月に監督との面談で入部を認められると、ウエートトレーニングやダッシュなど地道な努力を積み重ねた。

 実戦登板できるようになった2年秋の時点で最速135キロだった直球が4年の春には147キロを計測するようになった。そして4年の秋、東大戦で公式戦デビューを果たし、2回を無失点で押さえた。秋のリーグでは念願だった早慶戦も含め計4試合に登板し、7回3分の2を防御率2・35と結果を残した。

 三菱自動車岡崎では、3年目の今年が飛躍の年となった。都市対抗東海地区2次予選では13回3分の2を投げ、失点1、防御率0・66と圧巻のピッチングを披露し、本大会出場の立役者となった。梶山義彦監督は「真面目で努力家。エースの秋山(翔)に追いついてきた」と信頼を置く。

 慶応のユニホームを着て神宮球場でマウンドに立つことを夢に、幾多の困難を乗り越えてきた苦労人。次は社会人野球最高峰の都市対抗の頂点を目指す。「先発で投げてなんとしても1勝したい」と意気込む。【塚本紘平】

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