バスケットボールの人気が世界的に高まった理由。きっかけの一つとして、プロ選手の出場が解禁されたバルセロナ・オリンピック(1992年)が挙げられる。米プロバスケットボールNBAのマイケル・ジョーダン選手らが参加した米国代表「ドリームチーム」が金メダルを獲得した大会だ。
21世紀に入りNBAでプレーする海外選手が増えた。パリ五輪でも各国のチームに同リーグのスター選手が名を連ねる。米国代表も「キング」と呼ばれるレブロン・ジェームズ選手、名シューターのステフィン・カリー選手らを招集し、各国のせめぎ合いに注目が集まる。
NBAは今年4月、小学4年生から高校3年生を対象にしたスクールを日本で開校。オーストラリアや中国などに続き世界で18カ国目で、NBAのコーチらが作ったカリキュラムで個人の技術向上を目指している。ここに協力するのは、国内でバスケットスクール事業を展開するERUTLUC(エルトラック)だ。
2002年にエルトラックの活動を開始した鈴木良和社長(45)は「子どもたちの目指すものはそれぞれ違うので、楽しみ方も大切にしながら各選手のモチベーションに寄り添うことを心がけてきた」という。コーチたちと目指してきたのは「日本のバスケの育成環境っていいよね」と世界で言われることだ。
鈴木さんはパリ五輪に出場する女子日本代表のアシスタントコーチも務めている。育成年代と日本代表を指導するユニークな立場だが、違いよりもむしろ共通点を強調する。「少し高いレベルに勝つためにどうするかというアングルは、代表でも育成年代でも同じ」という。
日本代表ではアウトサイドプレーヤーの強化を担っている。欧米のチームに比べ、体格で劣る日本は3点シュートなど長距離砲を多投する。だからこそ、ディフェンスをうまく外し、ブロックされない間合いでシュートしたい。
「世界のディフェンスは簡単にギブアップせず、最後まで詰め寄ってくる」。鈴木さんはパスの質を上げる練習や、ディフェンスから遠ざかるようにステップしてパスを受ける動きなどを指導していた。
7月、ニュージーランドとの強化試合では選手の成長が見られた。選考の当落線上から代表メンバーに決まった東藤なな子選手(23)は途中出場。テンポよく3点シュートを沈め、日本に勢いをもたらした。
恩塚亨監督が掲げる「走り勝つシューター軍団」の中で最年少の東藤選手。合宿では鈴木さんから、余計な力を抜いて打つように指導されフォームを改善。試合後に「良い感じで打てている」と話し、その表情には手応えと自信がみなぎっていた。
鈴木さんは「自分にできることは、世界で戦う選手たちと肌身を通して、直接体験したことを子どもたちに伝えること」と語る。「より高いレベルで戦えるようになるには、速さや強さ、技術の『質』を磨く必要があるんだと伝えていきたい」【和田大典】
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