Bリーグの阿部友和選手は実家のリングが「醍醐味(だいごみ)を知った原点の一つ」と語る=福岡市で2023年9月30日、和田大典撮影

 プロバスケットボールBリーグの阿部友和選手(38)は、ミニバスケットボールをしていた小学生時代に忘れられない思い出がある。

 米プロバスケットボールNBAで本場の空気を体感したことだ。バスケ仲間や保護者らと一緒に、当時リーグ連覇中のシカゴ・ブルズの試合を観戦。「バスケの神様」とも言われたマイケル・ジョーダン選手にくぎ付けとなった。「ぶれない体勢と毎回同じフォーム、ジャンプシュートがめちゃくちゃ入る」。大きな会場で後方の席から見下ろすと、2メートルの選手たちが小さく見えた。「こんな大舞台でバスケがしたいと思った」

 プロ生活は16年。北海道や千葉に所属し、日本一も経験した。昨季は地元福岡でプレー。生まれ育った故郷は「楽しい事だけじゃなく、苦しい事もあった」

 甲状腺の疾患「バセドウ病」を発症し、中学1年生の時には通学もままならなかった。薬の副作用などで頭髪や眉毛が抜け、思春期と重なって周りの視線に傷つくことも。相談すれば涙を流す母に、悩みを話すのをためらうこともあったという。

 中学2年生の頃から徐々に運動ができるようになり、バスケに打ち込むことが「自分の芯」だった。コート上でひときわ目立つスキンヘッドも「チャームポイントで、覚えてもらいやすい」と前向きにとらえる。「同じような病気で悩む子供たちの励みになれればうれしい」

 自動車整備工場を営む実家の片隅にあるバスケットゴール。競技を始めた小学2年生の時につけてもらった。4歳上の兄の同級生たちがジョーダン選手のようにダンクシュートをしすぎて、固定器具が壊れかけても父親が修理してくれた。

 リングは中学校入学に合わせて、ミニバスケの高さから公式の305センチに上げてもらった。今ではボードの黒い線は消え、リングの赤も色あせる。「これがなかったら、チーム練習の日以外は遊んでいただけかも」

 プロにつながる原点の場所で思う。「自分のバスケ人生に関わってくれた人たち、サポートしてくれた人たちにプレーで恩返しできるのはすごく大切なこと」【和田大典】

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