古豪の日高(和歌山県御坊(ごぼう)市)が野球部の創部100周年を迎えた今年、ユニホームを新調した。平成の初めに選抜大会に出場した時のような強さで勝ち進んで欲しいと、胸の校名デザインを「当時」にあやかった。12日、夏の甲子園をかけた初戦に臨む。

 日高は1914年創立の県立高校。阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の誕生と同じ24年に野球部ができた。選抜大会には56年の28回大会に初出場し、1勝をあげた。その後、89年の61回大会、92年の64回大会でも選ばれた。ただ夏の全国選手権大会は未経験で、選抜からも遠ざかっている。

 新しいユニホームは、胸に刻まれる「HIDAKA」の縁取りがなくなり、89年と92年の選抜の時のものに戻した。「89年の選抜は開幕試合。平成初のヒットは、うち(日高)が打ったんです」と前田健太部長は胸を張る。新時代の安打にあやかって、日高の新時代という意味も込めて、今回のデザインにしたという。

忘れられない夏が

 出羽遼大監督は「選手には好評で、先輩と選手との絆が深まったのかな、と感じた」。山本大輔主将は「創部100年の節目ということはみんなで話している。とにかく一つひとつの試合に勝ち進んでいきたい」と意気込む。

 日高には忘れられない夏がある。

 2004年の第86回全国選手権和歌山大会。ノーシードながら勝ち進み、準々決勝では全国屈指の強豪、智弁和歌山に逆転勝ち。勢いそのままに決勝へ進んだ。

 相手は市和歌山商(現市和歌山)。試合は、日高が1点リードで九回の最後の守りについた。2死をとったが、そこから追いつかれた。延長十二回にサヨナラ打を浴び、夏の甲子園に一歩届かなかった。当時責任教師だった山本直樹さんは「あと1人の重さが、学校全体にのしかかっていた」と振り返る。今は校長を務める。「(選抜に出た)先輩の思いがこもったユニホームで力を発揮してほしい」

 チームが目指すのは「あと1人」まで追い詰めた、20年前のあの試合を超えることだ。12日、粉河との初戦を迎える。(寺沢尚晃)

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