四国のほぼ真ん中、吉野川上流の山あいにある嶺北高校(高知県本山町)に、コツン、コツンと打球音が響く。グラウンドでは、ツバのついた帽子をかぶった5人が動き回っていた。
ショート位置の1人がゴロを捕り、一塁手に送球した。「よっしゃ、次は二塁送球」と明るい声が上がる。一塁手は誰もいない二塁位置に移動し、ノックはさらに続いた。
腰を落として捕球を続けたのは、野球部の大石貴仁主将(3年)。バットを握ったのは、地元の嶺北消防署員、池添勇志郎さん(27)。一塁手は、野球部後援会員の会社員(65)だ。
同校の野球部員は大石主将、ただ1人。グラウンドにいた残り2人は、池添さんの同僚消防署員と、助っ人マネジャーで3年生の細川蒼天(そら)さん(17)。4人はほぼ毎日、交代で練習を手伝っている。
「周囲の支えに感謝している。夏の大会で結果を出して恩返ししたい」
大石主将は幼い頃、父に連れられて高知県安芸市の阪神タイガースのキャンプを見に行き、野球に興味を持った。中学には野球部がなくソフトボールをしていたが、嶺北では迷わず野球部に入った。
校内にはボール500個と真新しいピッチングマシンがあった。ところが1年のときは10人だった部員は、先輩が卒業したり後輩が勉強に専念したいとやめたりして、4月に大石主将1人になった。指導者も転勤した。
「1人になったんだよ」という大石主将のつぶやきを聞き、まず友人の細川さんがキャッチボールの相手になった。
その後、学校は県教委の制度を活用し、高知商野球部出身の池添さんらに「運動部活動指導員」を依頼した。
池添さんは「2年間練習を重ねてきた野球を、最後まで続けてもらいたかった」と話す。
部員は主将が1人だけ、高知では3校
部員が9人集まらない。それどころか、主将の1人だけしかいない。そんな高校野球部が、全国でも人口急減がトップクラスの高知県に3校ある。
四万十市にある幡多農の矢野冬麻(とうま)主将(3年)も1年生の秋から1人だ。
野球部が発足したのは2008年。専用グラウンドを整備し、一時は部員が20人を超えたが、16年に9人を割ってから減少の一途をたどった。
監督、責任教師とキャッチボールをしたり、ノックを打ってもらったりしている。他の教員も、投球練習をする矢野主将のために打席に立ったり、フリー打撃で外野の球拾いをしたり。矢野主将1人のときは、棒の先端に置いた球を打つ「置きティー」や走り込みをしている。
「やめようかと思った時もあるけど、自分がマウンドで投げる姿を思い浮かべて続けてきた。最後までやり遂げたい」
土佐清水市にある清水の弘田唯(ゆい)主将(3年)は昨秋から1人になった。監督や顧問教諭が熱心に練習に付き合ってくれるので、寂しさは感じない。
「ノックを受けて、難しい打球をダイビングキャッチするのが気持ちいい。ユニホームが汚れるプレーをしたい」
父の周さん(47)は30年前、清水の主将を務め、選手19人で夏の大会に臨んだ。「OBとしては寂しいが、清水の最後の夏になるかもしれない。頑張ってほしい」と話す。
少子化などを背景に、日本高校野球連盟は12年夏の大会から、部員不足校が連合チームを組んで大会に出場することを認めた。
嶺北、幡多農、清水の主将3人は、選手3人の室戸、8人の高知海洋と5校連合チームを組み、今夏の第106回全国高校野球選手権高知大会に臨む。
連合チーム、学校同士の距離は200キロ
室戸と清水の距離は約220キロあり、高速道路を使っても片道4時間かかる。月に2、3回の合同練習に選手たちを長距離運転で送り届けるのは、保護者らだ。
連合チームを率いる高知海洋の西井雄都監督(26)は「周囲への感謝を忘れないでほしい。他校生とコミュニケーションを取りながら、少人数でも楽しそうだと後輩が思えるようなプレーをしてほしい」と話す。
高知県ではこの30年間で高校生が半減した。国の学校基本調査によると、全日制の生徒は1994年度の2万9081人から2023年度は1万5533人に、47%減少した。県域が広く統廃合が難しい事情もあり、全日制の県立高29校のうち10校が生徒数120人未満だ。
1994年夏の甲子園に出場した宿毛(宿毛市)は2年前、野球部員がゼロになった。
同校監督として甲子園に出場し、県高野連副会長を務めた中谷真二さん(62)は「一人でも野球をやりたい生徒がいれば、その思いを大切にしてあげたい。教員仲間とは、ずっとそう話してきた」と語る。
高知県では昨年、生まれた子どもの数は3380人と過去最少を記録した。状況はさらに厳しくなる中、教員や保護者、地域社会の模索が続く。(蜷川大介)
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