2015年から21年まで監督としてソフトバンクを率い、5度の日本一に導いた工藤公康さん(61)は、監督は「中間管理職」というのが持論だ。

 現在は野球解説者をやりながら、プロゴルファーになった長女のコーチなども務め、多忙な日々を過ごす工藤さん。監督という経験を経て、考え方が大きく変化したという。

 変化のきっかけは、監督2年目だった。

 「ホークスの監督になった2015年に日本一になりました。しかし翌年は、チーム力が落ちたわけではないのに2位で終わり、自分の慢心のせいだと反省しました」

 慢心というのは、1年目で優勝したので自信を持ち、コーチや選手に「私のやり方でやってください」という一方通行なコミュニケーションになっていたことという。

 「球団内での自分の立ち位置を徹底的に見つめ直しました。結果、監督は絶対的なリーダーや大きな組織を率いる長ではなく、会社でいうならば、「中間管理職」に過ぎないと気づきました」

 工藤さんによると、監督をやるのは長くて10年ぐらい。長期的な組織の戦略を決めるのは、球団のオーナーや会長、社長という。

 「私は現場の長に過ぎない。意見は言うけれど、私は球団というパズルの1ピースです。球団が掲げる優勝という目標を達成するために、コーチやトレーナーと力を合わせ、試合のために準備する。自分がやりたいことができるようチームを動かしていくのが役割と気づきました。監督を含め、組織の中心にいる人たちが派閥的な争いをせず、同じ方向を向いて、意思決定を素早くできれば、現場はどんどん活性化していきます」

 工藤さんは苦い経験を経て、コーチや選手たちとの接し方を徹底的に変えたという。

 「こうしたいからやってくれ」と指示すると、コーチは「はい」ととりあえず、選手に指導するが、理解に深さはない。

 しかし、工藤さんから「どうすればいい?」と相談すると、「監督はどうしたいんですか?」となり、「こうしたい」と言うと、コーチから「こんな練習どうでしょうか」とアイデアが出てくる。こうしたコミュニケーションを重ねると、コーチの目標への理解が深くなり、選手への指導も的確にサポートしてくれるようになったという。

 「目標への共通認識を持てば、循環型の組織ができて、チームが強くなります」

 監督復帰の可能性を尋ねると、「お話があれば、考えたいと思います」と笑った。

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くどう・きみやす 1963年愛知県生まれ。プロ野球選手としては、埼玉西武ライオンズ)など4球団に所属。リーグ優勝14回、日本一11回。引退後、15年から21年まで福岡ソフトバンクホークスの監督としてパ・リーグ優勝3回、日本シリーズ優勝5回。現在は野球解説者、スポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動を行っている。家族は妻・雅子さんと2男3女。近著は「プロ野球の監督は中間管理職である」(日本能率協会マネジメントセンター)(編集委員 森下香枝)

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