「野球、一緒にやろうぜ」
福島高専(福島県いわき市)の外野手、生田目(なまため)将吾さん(3年)は昨年5月、クラスメートに誘われた。のちに野球部主将になる砂川拓巳さん(3年)からだった。しかし、即答はできなかった。
同じ頃、バドミントン部の次期主将に決まったばかりだった。「兼部で練習が中途半端になるかもしれない。バド部の部員に示しがつかない」。ただでさえ、土木系の勉強との両立も大変だった。悩むこと1週間。「やっぱり野球がやりたい」と険しい道を選んだ。
小さい頃からプロ野球を観戦したりテレビで高校野球を見たりするのが好きだった。中学から野球を始め、未経験ながらレギュラーの座をつかんだ。高校でも打ち込みたいと考えていたが、入学してみると野球部は部員不足で活動休止中。「甲子園を目指して青春する」という夢は遠のいた。
スポーツは続けたいと思い、バド部に入部。一度も練習を休まなかった責任感を買われ、先輩から次の代の主将に指名された。20人ほどの部員を束ねる立場だ。そんな頃、思いがけず、再開をめざす野球部への誘いがあったのだ。
バド部の仲間は「頑張れ」と背中を押してくれた。バットとラケットを持ち替える「二足のわらじ」生活が始まった。
野球部に集まったのは10人ほど。休部していた2年半のうちに専用グラウンドは雑草が生い茂り、イノシシに荒らされでこぼこ。まずは草抜きから始め、6月から練習を再開した。生田目さんはバド部の練習がない週3日間、チームに合流。公式戦の1週間前からは野球を優先した。
競技の掛け持ちで戸惑うこともあった。特にバッティングだ。バドでスマッシュを受ける際のシャトルの方が投手の球より速かった。ボールの距離感がつかめずタイミングが合わなかった。「感覚が戻ってきたのは最近。ようやく試合でヒットが出るようになった」
一方、野球に生かされたことも多い。バドでは上体を反らしてシャトルを打ち返す場面があり、元の体勢にすぐ戻れるように体幹を鍛えた。重さのあるラケットを1日200回振ったことで手首も強くなった。これが送球の自信につながった。
左翼手で出場した4月の地区大会1回戦。5点リードされてこれ以上失点が許されない場面で、バックホームして二塁走者の生還を阻止。試合には負けたが手応えを得た。
バド部には指導者がおらず、主将の生田目さんを中心に練習メニューを考えてきた。トレーニングがどんなプレーにつながるかを野球でも意識できるようになった。
バド部主将を経験したことで周りを見渡す癖がついた。野球部主将の砂川さんは「積極的に後輩に声掛けしてくれるし、片付けも率先する。頼りになる存在」と話す。
6月初旬にバド部を引退。2年秋の地区大会のシングルスでベスト32が最高成績。最後は団体戦で県大会に出場した部員らを引率した。今、野球に専念できる喜びをかみ締める。一つの好プレーを全員で喜ぶ。ミスしても仲間がカバーしてくれる。そんな時は「やっぱりチームスポーツっていいな」と胸が熱くなる。「両立がつらい時も仲間の励ましで乗り越えられた。プレーで恩返ししたい」。青春真っ盛りの夏だ。(酒本友紀子)
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