高校野球の発展と選手育成に尽くした指導者を対象に、日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する2024年度の育成功労賞に、県内から山口市の藤井功さん(65)が選ばれた。藤井さんにとっての高校野球とは、指導とは。話を聞いた。

 人生の半分を超える30年以上、高校野球の監督を務めた県内の高校野球界では数少ない存在だ。時には責任教師も担い、監督と兼務した時期もあった。

 選手としても、監督としても、甲子園出場経験はない。

 山口高校に入学した時は、小学校から始めたサッカーを続けるつもりだった。当時の山口高校サッカー部は全国大会の常連。同級生2人と入部届を出そうと決めていた日の前日に、藤井さんが運動に秀でているという話を聞いていた当時の野球部監督が自宅を訪れ、「どうして野球部に入ってくれないのか」と直談判した。

 そして野球部入部。昭和の時代、練習環境は厳しかった。水分補給はほとんどない、時間も長い。素振りをし過ぎたためか、3年生になる時に体を傷め、藤井さんが選手として出たチームとしてはベスト16が最高だった。

 進学先には筑波大学を選んだ。実技試験の専門種目に野球が取り入れられ、全国の強豪校、進学校の主将クラスが同級生になった。

 体力・根性論ではない練習方法、野球そのものへの考え方。「ものすごい刺激を受けた」。指導者の道を選んだ。

 とはいえ若かった。初めて監督になった豊北(当時)では、8時間ノックをやった。「よくみんなついてきてくれて」。その後、西京、母校の山口、佐波、防府西の各高校で監督となり、19年の夏を最後に監督の「現役」を後進に譲った。

 強豪校とは言えない佐波では、バッティングピッチャーやキャッチャーも担当。「みんな、野球が好きだなと思うから一生懸命やった。原点に戻れた」と話す。

 今は母校の山口高校と新南陽高校(周南市)で保健体育の非常勤講師を務めている。サッカーをしようと山口高校に来ながらの受賞。「ありえないでしょう」と笑う。(青瀬健)

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