【埼玉-BL東京】初優勝し喜ぶリッチー・モウンガ(左上)らBL東京の選手たち=国立競技場で2024年5月26日、長澤凜太郎撮影

 3季目を終えたラグビー・リーグワンでBL東京は初めて頂点に立つことができた。優勝できた理由の大きな一つが、ニュージーランド(NZ)代表「オールブラックス」での実績が豊富で世界的なスタンドオフ(SO)、リッチー(・モウンガ)の存在だ。グラウンドでのプレー、技術、精神面などチームへの好影響は挙げれば切りがないが、一番は「チームマン」ということ。いつも謙虚で、リスペクトを欠かさない。

 日本ラグビーや東芝への誠実な思いは、BL東京のゼネラルマネジャーとして交渉の段階から感じていた。リッチーがチームに合流するのは2023年秋のワールドカップ(W杯)フランス大会後で、シーズンの開幕直前だった。オールブラックスがW杯で優勝すれば日本に来るのが遅れる可能性もあると考え、どんな結果であっても「W杯終了後10日以内に来日を」という条件を出した。そのような条件は私自身、初めてだった。

 難色を示されるかと思ったが、理解してすんなりと受け入れてくれた。心から日本ラグビーをリスペクトし、この環境に順応して何かを残そうとしているんだと感じることができた。「本気だな」と実感して身震いがしたほどだ。その心構えは同時期に加入したNZ代表のFWシャノン・フリゼルも一緒だった。NZ代表は昨秋のW杯で準優勝。決勝トーナメントは強度が高い試合の連続だったので、長めの休養が必要と判断して合流時期を数日遅らせた。でも、本人は10日以内に来日する気満々だったらしい。本当に頼もしい存在だ。

 我々としては休暇の制度を活用して短期間だけチームに加わるのではなく、東芝のラグビーにコミットしてレガシーを残してほしいと考えていた。かつて所属した、NZ出身で日本代表主将も担ったアンドリュー・マコーミックや、NZ代表にも選ばれたスコット・マクラウドらも長期間在籍し、多くのレガシーを残してチームを発展させてくれた。

「ともに成長しよう」という姿勢

入団記者会見でユニホームを受け取るBL東京のリッチー・モウンガ(右)=2023年1月6日、角田直哉撮影

 リッチーには「ともに成長しよう」という姿勢を大事にしていることを知ってほしかった。交渉では何十ページにも及ぶ資料を作り込んだ。その中では東芝でプレーして引退後にNZ代表のコーチを務めたマクラウドや、大学からラグビーを始めて日本代表歴代最多98キャップを誇る大野均のことも紹介した。「ともに成長する」文化が東芝を長く支えてきたことを伝えた。リッチーはとても家族を大切にする選手。生活面にストレスがあるとプレーに影響が出る可能性があり、細かな不安を一つずつ取り除き、安全安心な環境作りにも気を配った。

 ここまで綿密な準備をするケースはなかなかない。だが、リッチーは東芝のラグビーを十分に理解して、グラウンド内では接点で相手を圧倒し、外でも紳士として立ち振る舞う「猛勇狼士(もうゆうろうし)」の姿を体現してくれた。

 決勝後、さまざま場所で優勝を報告し、お世話になった方々にあいさつをする機会があるが、そこでもリッチーは体の前でずっと手を重ね、ニコニコと話を聞いていた。一流選手のそうした立ち居振る舞いには驚かれる人もいるだろう。しかし、どんな場面でも相手目線に立った判断、行動ができることがリッチーの本来の姿で、一番の魅力だ。もちろん1度の優勝で満足している様子もない。来季以降もチームにどんな好影響をもたらしてくれるのか、今から楽しみだ。(東芝ブレイブルーパス東京ゼネラルマネジャー)

くんだ・まさひろ

 岐阜工高、筑波大を経て東芝府中(現東芝ブレイブルーパス東京)でフッカーとして活躍。日本代表44キャップ。W杯は1991年から3大会連続で出場し、95年は主将も務めた。東芝監督を経て、日本ラグビー協会でU20(20歳以下)日本代表監督や男子15人制強化委員長などを歴任した。57歳。

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