復帰試合 約2年ぶりの1軍マウンド
6月14日、敵地・京セラドーム大阪でおよそ2年ぶりの1軍登板を果たした奥川投手。
3シーズンぶりの勝利をあげヒーローインタビューに立つと「すごく長い時間待たせてしまった。きょう勝つことができてうれしい気持ちです」と、まずは晴れやかな表情で語った。
しかしインタビュアーから「苦しい時期を乗り越えての2年ぶりの1軍マウンドだったが」と問われると「本当2年という期間の中で…」と話したところでこらえきれずに大粒の涙を流した。
そして何度も何度も涙を手で拭いながら「たくさんのファンの方に温かい声援をいただいてうれしかったです」と感謝の思いを絞り出した。
この日、京セラドームの電光掲示板に表示された“奥川”の文字。
背番号「18」をつけて初めて1軍のマウンドに上がった彼の登場にスタンドは“おかえり奥川”の文字と歓声であふれた。
その奥川投手の1球目、150キロのストレートが大きく外れた。
こわばった表情から緊張しているのが見て取れた。
それでもなんとか先頭打者から1つアウトをとると、やっと笑顔がこぼれた。
試合後に「内容はいいものではなかった」と振り返ったとおりストレートのコントロールは定まらず、得意のスライダーも安定しない。
毎回のようにランナーを出し何度もピンチを招いたものの、野手陣の好プレーに助けられ、5回を投げ79球、1失点にまとめ見事勝ち投手になった。
涙のヒーローインタビューの後、球団の計らいで特別にインタビューをさせてもらったが、そこではこのマウンドにたどりつくまでの率直な思いが口を突いた。
奥川恭伸 投手
「投げている最中はしんどかったし、つらかったが、それでもマウンドに立っていることが幸せだったし楽しかった」
“つらく悔しい2年 早く野球がしたい”
奥川投手は高校時代、甲子園に4季連続出場。
プロ2年目には早くもチームトップに並ぶ9勝を挙げリーグ優勝を支えた。
そして20歳の若さで日本シリーズ初戦で当時オリックスの山本由伸投手と投げ合い、日本一に貢献した。
順風満帆とも言えるプロ野球生活のスタートだったが、さらなる活躍が期待されていたやさきの3年目。
2022年3月29日、神宮球場での本拠地開幕戦で先発したものの4回1失点で降板し、その後、右ひじの故障が明らかになった。
復活までの3シーズンで唯一記録されたが1軍登板の日が実質的にけがとの戦いのスタートとなった。
その後、下半身のけがなどにも見舞われ、けがとの戦いは実に2年以上続くことになる。
けがで離脱している間の思いについて以前質問したとき、特に印象に残ることとして、おととしにチームがリーグ連覇したときの心境を正直に打ち明けてくれた。
「つらい2年でした。特に2021年、優勝して日本一になって、そのあと僕が離脱して優勝してっていうところで、あの輪の中に入れなかったのはすごい寂しかったですし、悔しかった。ずっと悔しいって思っています」
さらに忘れられないのは奥川投手が復活登板の1か月ほど前に2軍の練習場で口にした焦りにも似たことば。
いつもは取材に丁寧に穏やかに話す口調が、少しだけ強くなった。
「もうとにかく早く投げて早く活躍したい。早く野球をやりたいですよ。やらなきゃいけない」
レベルアップして復活を 取り組んだフォーム改良
悔しさを抱きながら過ごした2年間だったが気付くこともあったという。
高校時代からプロ入り後も第一線で投げ続けてきた中で、時間をかけて自分のフォームを作り上げていくことがなかなかできなかったという奥川投手。
治療に専念し、ある程度投げられるようになると取り組んだのがフォームの改良だった。
シーズンを通した活躍を目指す中、全力投球で勝負するスタイルに限界を感じていたという。
「2年目に9勝あげてた時とか、今これでできてるけど、でもしんどかった。“いっぱいいっぱい”なところでやっていた。単純にボールの力で押してファール取っていたけど、70%とか80%の力で取れる方法ないかなと考えていた」
参考にしたのがチームの先輩で長年にわたり先発陣を支えているベテラン、石川雅規投手と小川泰弘投手だった。
球速がそれほどなくてもバッターが差し込まれ、安定して抑えている要因はどこにあるのか、何度も動画を見て研究したという。
その中で奥川投手が感じた2人の共通点は“ボールの出どころが見えにくい”ところだった。
目指したのはリリースの瞬間までできるだけ肩を開かず、バッターから見て投げる腕が体で隠れる時間を長くすることでボールの出どころが見えにくくなるフォームだった。
オフの間からキャッチボールの際に、腕の位置を確認しながら丁寧に、1球1球投げ、理想とする形を体に覚えさせていった。
「今は球数が制限されて、長いイニングを投げたいと思ったときに少ない球数で、どんどんストライクで勝負していかないといけない時代だと思う。1年通して投げることを考えるともう少しシンプルに勝負できるように。もっともっと自分のボールを伸ばして2年前よりも楽な形で勝負できるように、って思いました」
復活したときには以前よりレベルアップしていなければならない。
1軍に戻ったときにはシーズンを通してチームを勝利に導ける存在になっていたい。
そんな責任を感じているようにも見えた。
ふるさととの「約束」胸に
ことしは地元・石川への思いも特に強い。
正月に震度6強の地震に襲われ、みずからも正月に帰省中、被災した。
「ことしこそ」と臨んだ2月のキャンプでは腰のけがで離脱し開幕1軍を逃した。
投げられなかった間にも、復活を信じて応援を続けてくれていた地元の人たちへの思いは、より一層、強くなっていった。
「石川県の皆さんにどれだけ影響力があるか分からないが」と前置きした上で、取材の中で何度も口にする「早く1軍で投げなければいけない」「少しでも元気を与えたい」という思いは今シーズン、ふるさと石川と自分の中で交わした「約束」なのだという。
復活勝利をあげた試合後、報道陣の囲み取材の中で、一時は引いた涙だったが、ふるさとのことを聞かれると「震災が起こってことしは石川県の皆さんのためにって思ったシーズンだったんですけどキャンプでまた離脱して本当に申し訳ない気持ちだった」と話して、また涙を流した。
キャンプ中から復興支援をしたいと話していた奥川投手。
「投げて恩返し」ということがなかなか実現せず、この日までもどかしい気持ちで過ごしていたが去年まで金沢放送局にいた私のもとに石川県の方から「奥川投手の姿に感動した」と連絡があったことを伝えると「本当にうれしいです」と安どした表情をみせた。
次は満員の本拠地で
復活勝利を挙げた奥川投手だが、これはまだまだ始まりにすぎない。
交流戦が終わりセ・リーグ5位と苦しい戦いが続くヤクルトだが、ペナントレースはまだ半分以上残っている。
上位がもたついて抜け出すチームがなく、リーグ優勝やクライマックスシリーズ争いは、まだまだ混戦模様だ。
ヤクルトは外国人投手や2年目の吉村貢司郎投手がなんとか先発陣を支えているが、信頼できる先発投手の存在は、ここから巻き返しを図る上では欠かせない。
無理は禁物だが、苦しい先発陣の中で、奥川投手により一層の活躍が期待されるのは言うまでもない。
2年ぶりの1軍登板で奥川投手が楽しみにしているというのが本拠地・神宮球場の歓声の中での登板だ。
「僕が投げていたときは、まだコロナ禍だったので声が出せずに拍手で送り出してもらい元気をもらっていました。満員の神宮球場でっていうのがないので、すごく楽しみではあります。期待してもらっているのは自分自身が感じているので早くその期待に応えたい」
期待が大きい分、それが重圧になったこともあっただろう。
逃げたくなったこともあっただろう。
それでも前に進み続けた23歳が今シーズン、これからどんな活躍をして、チームにどんな影響を与えるのか、楽しみに取材を続けたい。
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