命懸けで競技を続けてきた。パラ競泳女子全盲クラスでパリ・パラリンピック代表に内定している石浦智美は今年に入り、得意の50メートル自由形で日本記録を3度更新し、今季の世界ランキング1位に輝く。その歩みは、視力を失う原因となった先天性緑内障との戦いでもあった。(兼村優希)

 石浦智美(いしうら・ともみ) 生まれつき、緑内障と無虹彩症がある。競技を始めた頃から女子全盲クラスで活動。筑波大付属視覚特別支援学校高等部3年のときに初めて国際大会に出場した。初出場だった東京パラリンピックは50メートル自由形で7位、100メートル自由形で8位、混合400メートルリレーでアジア新記録の5位。新潟県上越市出身。36歳。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。

◆選考会2カ月前、風呂場で突然意識を失った

 3月に静岡県富士市であったパリ・パラ代表選考会。石浦は50メートルと100メートルの自由形で日本記録を塗り替え、100メートル背泳ぎも加えた3種目でパリ切符をつかむと、「100%の泳ぎではない。ほっとした」と声を震わせた。実力から考えれば代表入りは順当だったが、感極まったのには理由があった。

パリ・パラリンピック出場をかけて選考会に出場する石浦智美(日本パラ水泳連盟提供)

 その2カ月前、風呂場で突然意識を失い、倒れた。緑内障で上昇した眼圧を下げるために服用していた強い利尿剤の副作用だった。競技のためには眼圧を下げなければならない。でも、この薬を続けるのは危険すぎる。「命とどっちが大切なのか」。悩んだ末、わずかに残った光も一生失う恐れがあってためらっていた右目のレーザー手術に踏み切った。  手術を終えると、やはりほとんどが暗闇に。昼夜の区別がつかず、睡眠障害も発症した。眠れないまま練習に行き、パフォーマンスは落ちるばかり。「パラリンピックに出られるなら目のことは…と覚悟を決めてやってきたけど、このタイミングか、と」。やむなく睡眠導入剤に頼り、ぎりぎりでコンディションを整えて選考会に臨んでいた。

◆眼球破裂の危険冒しつつ飛び込み解禁

持病と向き合いながらパリ・パラリンピックでの飛躍を目指す石浦智美=東京都中央区で

 生まれたときから視力は0.01ほどしかなかった。小学校を卒業した春、最初のレーザー手術を受ける。既に目の症状は末期で、主治医からは「20歳までには失明する」と告げられた。2歳から水泳に親しんでいたが、このときから「失敗したら眼球破裂の恐れがある」として、水面にぶつかり衝撃を受けるスタート時の飛び込みも禁じられた。  ただ、危険を冒してでも諦められない夢があった。パラリンピックだ。2008年、北京パラの代表選考会で8年ぶりに飛び込みを解禁したものの、惜しくも一歩及ばず。ロンドン、リオデジャネイロ両大会も逃し、17年にはよりサポートを得られる所属先に転職をした。点眼薬で症状をコントロールしながら、専属コーチをつけ、我流で身に付けた泳ぎを一から見直した。  ついに出場を果たした東京パラは、「金メダルを」と気負い、本番でタイムを大幅に上げてきた中国勢に押され、50メートル自由形で7位。「メンタル的に結構やられてしまって。悔いが残った」

◆今感じているのは「限界より伸びしろ」

パリ・パラリンピック出場をかけた選考会で力泳する石浦智美=静岡県富士水泳場で(日本パラ水泳連盟提供)

 36歳で迎えるパリ・パラ。昨年1月から、五輪選手も教える高城直基コーチに指導を頼み、大会に出るたびに日本記録を更新。50メートル自由形で目標だった29秒台もコンスタントに出せるようになった。「どんどんタイムが伸びている。まだ行ける」。限界よりも伸びしろを感じる。力任せに腕を回すだけだったフォームは、よりしっかり水をつかみ、浮力を推進力に生かす「きれいな速い泳ぎ」に進化。全盲であるが故にコースロープに接触して減速しやすいが、経験を重ねてよりまっすぐ泳ぐ感覚も磨いてきた。  今月初め、「パリで眼圧が上がるリスクは避けたい」と左目のレーザー手術も受けた。既に練習を再開している。腹をくくった石浦に迷いはない。まずは5月にシンガポールで出した29秒70の日本記録を塗り替えたい。「自己ベストを更新していく先に、メダルがついてくる」。暗闇の中で、頂への一本道が見えている。 

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