1920年、日本で初のメーデーが東京・上野公園で開催された。約1万人が参加した(写真・共同)

5月1日はメーデーの日である。メーデー(May Day)、すなわち労働者のための日なのだが、最近のメーデーは4月の最後の土曜日にやるところが多い(労働組合組織の分裂開催の結果である)。

何事も便宜的な日本では、メーデーならぬエイプリルデーになっている。だから、学生から「4月にやるのに、なぜメーデーなのですか」という質問が出るのも当然なのだ。

また「何で労働者の祭典が、SOS(メーデー)なのですか」という質問すらある。後者は、M’aiderという「助けて」を意味するフランス語を英語読みしたMaydayなのだが。

なぜメーデーが成立したのか

ヨーロッパでは5月は新緑の季節。メーデーは多くの国で休日だ。もう40年以上前のメーデーの日に、ウィーンからバスでハンガリーに向かったことがある。当然ながら、ウィーンもブダペストもメーデーであった。しかもその日はどちらとも祝日だったのだ。

フランスではスズラン祭の季節でもあり、白いスズランが町中で売られている。長い冬から明けた5月を待ちわびたかのように、メーデーの日の晴れやかな行進が始まる。終わったあと、あちこちでバーベキューの匂いが立ちこめ、穏やかな一日がすぎてゆく。

ではメーデーとは何であろうか。メーデー、すなわち5月の日という言葉には、実は大きな意味が付与されている。それは、メーデーという日が1886年5月初めのシカゴの労働者ストライキの悲劇から生まれたものだからである。5月という言葉には、深い意味が込められていたのだ。

杉浦正男と西村直樹の『メーデーの歴史 労働者のたたかいの足跡』(学習の友社、2010年)にそってその歴史を辿ってみよう。

1864年に国際労働者協会が誕生した。これは国境を超えて労働者を団結し組織化しようという組織で、その書記長はあのカール・マルクスであった。

マルクスの手になる綱領には、労働者が実現すべき問題として、貧困、労働時間、協同組合、そしてアメリカの奴隷解放などが書かれてあった。

メーデーの始まり

やがてその意を受けて1866年、ジュネーヴで第一インターナショナルの総会が開催されるが、その大会で労働時間の短縮という問題が重要議題となる。当時は10時間労働が一般的で、8時間労働日を要求するという運動方針が決まる。

この動きを最も強く受けたのが、海の向こうのアメリカ合衆国の労働者だった。アメリカ労働総同盟は、1886年5月1日から8時間労働を掲げて大規模なストライキを起すことを決議する。

とりわけ労働運動の中心地だったシカゴは5月1日からストライキに入る。しかし、これに対し5月3日にマコーミック農機具工場のストライキに警察が介入し5人の死者を出す。

それに抗議する労働者1万5000人がシカゴのヘイマーケット広場に集まり、そこに警察が銃を持って集会を蹴散らし、4人の労働者と7人の警官が死ぬという事件が起こる。これが「ヘイマーケット事件」で、この事件からメーデーの歴史が始まる。

1889年パリではフランス革命100年祭を祝っていた。エッフェル塔がそれを祝う建築物として建設され、万国博覧会も開かれていた。一方で労働者たちが集まって、2回目の国際労働者協会が新たに創設された。

その中心にマルクスの友人フリードリヒ・エンゲルスがいた。ここで正式に、第二インターナショナルとして5月1日のメーデーが問題となる。1893年に5月1日が正式に第二インターナショナルでメーデー(労働者の祝典の日)と定められる。 

もちろんそれがすぐに世界で普及したわけではない。5月1日にそろってメーデーとすることになるのは1904年のアムステルダム大会であり、日露戦争の問題が取り上げられたこともあり、日本の労働運動家・社会主義者の片山潜(1859~1933年)なども参加していた。

十数年で禁止された日本のメーデー

ではわが国ではどうだったのであろうか。日本でも大正デモクラシーの時代1920年に1回目のメーデーが行われている。

しかし関東大震災、治安維持法の施行などで次第に政府の弾圧が強化され、開催が困難になっていく。2.26事件のあった1936年にメーデーは禁止される。

イギリスにいた芸術家の岡本太郎の母である作家・岡本かの子は『英国メーデーの記』(1930年)の中でイギリスのメーデーについてこう書いている。(編集部注:「英国メーデーの記」は青空文庫で全文を読むことができます)

「それほどこの行列は内容を脱却した英国人通弊の趣向偏重に陥って居る。儀礼的な形式主義に力の角々を嘗め丸められてゐる」

第二インターナショナルで5月1日をメーデーの日にしたといっても、各国の労働者は一枚岩ではなかった。そのため、デモ行進もそれぞれの国の状況にしたがって、ある意味牙を抜かれ平和的な儀礼的デモ行進に変わっていたともいえる。

要するに戦後世界各地でみられる、のんびりしたデモ行進のメーデーがすでにイギリスでは始まっていたのである。ちなみにイギリスは今でもこの日は祝日ではない。

しかし戦後の日本は、ある意味解放感にあふれ、メーデーは新しい時代を迎えたともいえる。1946年終戦の翌年の5月1日のメーデーは、新しい時代の期待に満ちあふれていた。中央メーデー会場には40万人が参加したのだという。戦争で被災した社会を反映して、食糧を求めてのメーデーだったともいえる。

血のメーデー事件

宮本百合子は「メーデーに歌う」の中で、5月1日、ラジオから流れるメーデーの歌の指導に感動している。(編集部注:「メーデーに歌う」は青空文庫で全文を読むことができます)

「日本のラジオが、5月1日のメーデーを、こうして皆の祭りの日として歌の指導まではじめた。これは、ほんとうに、ほんとうに日本の歴史はじまって以来のことである」

「きけ、万国の労働者、とどろきわたるメーデーの」というフレーズをラジオが指導していたというわけである。確かにこのフレーズは、戦後生まれの子供たちでさえ口ずさんでいたほど、有名であったことが思い出される。

しかしこうした状況を一変させたのが、東西冷戦の始まりとアメリカの占領政策であったことは間違いない。そして1952年「血のメーデー事件」が起こる。明治神宮外苑から皇居前広場にかけての行進の中、皇居前で警官隊との衝突が起き、死者を出す惨事となった。

1952年は日本が独立した年だが、その頃から次第にメーデーには大きな変化が生まれる。組合組織の分裂の中で、権利要求の闘争から次第に祝祭的儀式に変わっていくのである。

しかし不思議なことは、戦後もずっとメーデーが国家の祝日となっていないことである。3月8日の国際女性デーもそうだが、祝日にならないのはなぜか。

さらに5月1日という日ですら、2001年4月以降いつの間にか日本労働組合総連合会連合系は、ゴールデンウィークの前の土曜日に変更してしまったのである。

世界を見渡すと、メーデーの日である5月1日が祝日である国が多いことに気づく。当然ながら社会主義国では祝日であったが、資本主義国であるフランスやドイツなどのヨーロッパの国でも、多くは祝日である。

メーデーは祝日とすべきか

日本ではゴールデンウィーク(黄金週間)の狭間の中にあるにもかかわらず、普通の日になっている。確かに連休である以上、家族旅行に出かけたりすれば、この日だけデモ行進に参加することは難しい。

メーデーを続けるには、やはり祝日にするしかない。しかし、連休であればもっと集まらないかもしれない。だったらバカンス休暇をつくって、そちらで休暇をとってもらえばいい。

もっとも5月1日という日には、歴史的に意味がある。もちろんアメリカのように、それ以上に重要な労働者のための祝日があるというのであれば、他の日にすればいい。

労働運動の長い歴史があるアメリカとイギリスのようなアングロ=サクソン地域を除けば、ほとんどの国がメーデー、すなわち5月1日を労働者のための祝日にしている。

ヨーロッパ諸国が5月1日を休みにしているのは、第二インターナショナルの歴史的背景があるからだ。シカゴの労働者の悲劇を忘れないという共感の上に決められたのだ。

しかし、一方メーデー発生の原因となったシカゴのあるアメリカでは、この日が祝日ではないのだ。アメリカのレイバーデーは9月の第1月曜日だが、それはシカゴより以前(1882年)にニューヨークでレイバーデーが始まったからでもある。

日本でも勤労感謝の日があるが、しかしこの日は労働者のデモ行進の日ではない。だったら祝日にすべきであろう。

しかし、残念ながら労働者の権利をしっかりと守ろうとする人々は、日本にはあまりにも少ない。その意味でも日本は国際社会から孤立しているのかもしれない。

血なまぐさい事件が起きるメーデー

5月という季節はとてもいい季節である。しかし、歴史的にこの5月には血なまぐさい事件がいろいろ起こってきた。その1つが1871年のパリコミューンである。パリコミューンは1871年、普仏戦争の講話に反対したパリ市民が蜂起して世界初の労働者政権を樹立したものだ。

3月に樹立したパリコミューンは5月末から6月にかけて崩壊する。ちょうどさくらんぼの実る季節である。パリコミュ―ンの頃を思い返す、有名なシャンソン「さくらんぼの実る頃」の歌詞の最後はこうなっている。

「あの頃のことはずっと忘れない。傷ついた心をもって」

メーデーの日が世界の労働者の叫びの日であるとすれば、やはりこの日のことを忘れるべきではあるまい。

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