沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落した事故から13日で20年です。「親として沖縄の空の『異常さ』を伝えたい」毎年、大学主催の集会に子どもを連れて参加する女性の思いに迫ります。

「この壁が何かわかる?わかんない、これがお母さんの学校にヘリが落ちたときに燃えた壁の一部、黒焦げになっているでしょ」

事故当時、沖縄国際大学の1年生だった中田未来さん。毎年8月13日の事故が起きた日に大学で開かれる集会に10年前から参加しています。

中田未来さん「一番上の子がお腹にいる時も一緒に来ましたし、いまはわからなくてもこの先考えるきっかけになればいいなと思って。一緒にくることに意味があるかなと思ってきています。」

長男・昊汰くん「(Q昔ここでどんなことがあったかママから教えてもらった?)ヘリコプターがここに落ちた。」

あの日から13日で20年、沖縄の空は何も変わっていません。2004年、普天間基地を飛び立ったアメリカ軍の大型ヘリが基地に隣接する沖縄国際大学に墜落し炎上。

無数の破片が周囲に散乱し、赤ちゃんが寝ていた住宅にも直撃しました。幸い学生や付近の住民には被害はなかったものの、大学構内で起きた墜落事故は街のど真ん中にある普天間基地の危険性が改めて浮き彫りとなりました。

中田さん「事故とかあったら危ないんじゃないとなんとなく周りの人から言われたりとかはしていたんですけど、まさか来た年、1年目にそういうことが起こるなんて。」

事故当日は夏休みで地元の大阪に帰省していた中田さん。沖縄に戻るとすぐに大学に行きその惨状をカメラに収めました。

「(写真に)残さないといけないと思ったんでしょうね。違うところに落ちていたらもっと大惨事になっていたかもしれないですよね。一歩間違えていたら自分が被害を受けていたかもしれないですし。」

事故の記憶を後輩たちにつないでいかなければと中田さんは大学4年の時には墜落事故を知る最後の学年として「平和を訴えるコンサート」を開催する実行委員としても活動しました。

「もし風化してしまうと同じような事件、同じような事故とか。また繰り返し起こりうる出来事なんじゃないかと思うので、それは良くないと思うから、そうならないで欲しいですね。」

同じような事故が起こらないでほしい。その願いも虚しくアメリカ軍機による事故は後を絶ちません。

「またかと思ってしまう気持ちはあるんですけど、でもだからと言って諦めるではなくて、諦めない気持ちを持ちながら、いたいなと思います。

墜落事故から13日で20年、中田さんは今も変わらず子ども達の上空をアメリカ軍機が飛び交う状況が果たして正常なのか問い直してほしいと語ります。

中田未来さん「身近に基地があるのが当たり前というわけではないんだよという事を時々話するんですけど、安心して安全で平和にのびのびと楽しく子どもたちが生きられるような沖縄であってほしいと思います。」

地元大阪で墜落事故の一報を聞いた中田さんは沖縄と県外のメディアの報じ方の違いにも驚いたと話します。沖縄では新聞の号外が出るなど大きく取り上げられていた一方、全国紙では2面3面で展開されるなど扱いの違いにも衝撃を受けたといいます。

中田さんも参加する13日の集会では2人の在学生が意見を発表します。いまの学生たちは事故についてどう捉えているのでしょうか。

経済学部4年謝花美生さん「沖縄国際大学に入学している方であっても知らない人もいると思うんですよ。」経済学部3年儀保裕一朗さん「基本的には学生同士で基地の話とかはあまりしないですね。」

沖縄国際大学に通う謝花美生さんと儀保裕一朗さん。大学では基地問題について学ぶ機会が多いと言いますが、授業中でも騒音が鳴り響く環境やヘリが低空飛行で飛び交う様子は当たり前の光景に。

儀保裕一朗さん「慣れてなんとも思わない人も沖縄県の中には結構いると思うんですよ、なので改めて考えてほしいのと、本当に基地問題をほったらかして大丈夫なのかとか。」

謝花美生さん「安全が保障されているわけではないですし、訳も分からずに沖縄に基地が集中するのを見逃し続けていることはどうなんだろうなと感じています。」

2人は20年の節目の日に今一度、沖縄に基地が集中する現状や基地が隣接する事の危険性に目を向けます。

沖縄国際大学での集会は13日午後2時から行われます。

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