1973年11月、「トイレットペーパー全部売り切れました」との張り紙を出した東京都内のスーパー。第4次中東戦争を機に原油価格が急騰、いわゆるオイルショックでトイレットペーパーや洗剤などがなくなるとのうわさが広がり、消費者を買いだめに走らせた(写真・共同)

東京都知事の小池百合子氏の学歴詐称疑惑が再燃している。2020年に一度収束していた問題が再浮上したわけだ。

学歴によって社会の能力を測る学歴社会において、学歴詐称が悪いことは当然のことだが、学歴という問題にはつねに複雑な問題がついて回ることも確かである。

筆者は2017年、スペインで開催されたEAIE(ヨーロッパ国際教育協会)に、当時勤務していた大学の国際センター所長として出席したが、そこでカイロ大学の関係者からもらったパンフレットの、いの一番に小池百合子氏の写真と名前があったことを記憶している。

カイロ大学のパンフレットに小池氏の写真と名前

カイロ大学のスタッフからもらったパンフレットである。カイロ大学も卒業を認めているのかもしれない。もっとも大学への何らかの貢献によって取得した「名誉」卒業生である可能性もある。

もちろん日本でもあることだが、卒業していなくとも有名になるとその大学や学校のために卒業扱いになることもままある。大学ではなく、その途中の高校や中学の場合、みなし卒業として扱われたりもする。もちろん本当の卒業ではない。

かつての旧制高校や大学予科の場合、戦後そうした学校が存在しないことで、履歴上は大学卒になってしまうこともしばしばある。また昭和18年(1943年)の学徒動員によって、国家の命令で本来の卒業年数に届かない形で繰り上げ卒業した場合もある。

松本清張の『砂の器』の主人公のように、空襲で焼けてしまった市役所などの戸籍を偽装する場合のように、戦後のどさくさのなか勝手に大学を卒業した例も多くあった。

『東大ニセ学部―虚像と虚栄の記録』(桑原宗一郎著、講談社、1969年)という本がある。そこには、東京大学生になりすまし卒業までしてしまった例が書かれている。これはすべて実際にあった話をまとめたものだという。

気軽に女性にもてるために偽ったものから、受験失敗の苦労から勝手に学生になったものまで、そして助教授になりすました狂人までいろいろと出てくる。東大ブランドの借用だけでなく、それによって就職を得たものまでいるからおそろしい。

 

日本は学歴偏重社会である、もっと正確にいうと大学のブランド偏重社会である。有名大学の名前さえ出せば一生楽に暮らせる社会ともいえる。有名大学に入学した18歳の学力で、一生食っていける社会など日本以外にはないと思われる。

 

海外では大学歴ではなく学位重視

海外で学歴の高さというのは、どの大学を出たかではなく、大学院の修士、博士といった高度な知識と学位を持っているかである。在学中に外交官試験にパスし、東京大学を中退した外交官が海外で落ち込むのは、赴任先で海外の外交官が博士号を持っていたりする場合だ。

不思議なことに、日本では東大卒で外交官になるより、中退でなったほうが優秀だとされるのだが、世界では大学院までいったほうが能力が高いとされている。

大学という世界に私も40年も暮らしてきたのだが、国によって大学がまちまちであることをずいぶん経験してきた。それは卒業ということにもいえる。

日本は、入学すればよほどのことがない限り卒業できる。だからこそ入学試験がすべてだといってもいいかもしれない。

大学入試の試験科目として全員に哲学の試験を課すフランスの入試問題は、4時間2問の論文形式である。日本人の高校生は哲学など無視するから、おそらくだれも解けまい。もっともバカロレアの合格率は80%を超えているので、答案の質のほうは疑問であるが。

バカロレアに通ればどこでも一応行けるので、医学部などは低学年でバサバサと落とす。日本では医学部に入学したというだけで優秀だということになる、フランスでは何の意味もない。

私は大学院の博士課程の頃、政府給費留学生としてユーゴスラビアのザグレブ大学の大学院に留学したのだが、卒業などしていない。だからそのことを示す何の証明もない。日本の文部省が派遣したという証明書があるだけだ。もっともユーゴスラビアという国でさえ今では存在していない。

またその後、フランスのEHESS(国立社会科学高等研究院)にもいたが、勝手な聴講生なので証明書はない。もちろんこんなことは履歴に書かないほうがいい。博士課程に在学中であればそれだけで済むからだ。

しかし、見栄を張ってつい書いてしまうと大変なことになる。最初の就職先の一橋大学社会科学古典資料センターに正直にこの経歴を提出してしまったのだ。

国立大学のチェックは厳しく、この証明を得るため聴講していた教授に頼んで証明書を書いてもらった。自分で文面を書いて、教授にサインしてもらったのだ。

小池氏個人にとどまらない問題

教員になって外国人留学生の入試を担当すると、海外の高校や大学の卒業証明書を見ることが多くなる。中国などの留学生の高校卒業の証明書や、大学の卒業証明書が本当であるかどうかチェックするのだ。

これもさまざまな点で怪しいなと思うものがあるが、チェックしようがない。チェックすれば、膨大な手間と時間がかかるからだ。

さて、小池百合子氏の場合は問題が複雑である。それは彼女の卒業は、たんに個人的な問題にとどまらないからだ。日本とエジプトとの関係を考えれば、エジプト政府およびカイロ大学は卒業というだろう。

日本とエジプト、そして当時のサダト政権と田中角栄政権の複雑な関係を考える場合、卒業を問題とするよりも、どうやって卒業という事実を獲得したのかということを問題にしたほうがいいだろう。

しかし、これはとても勇気のいることかもしれない。卒業というものが国家権力と関係していた場合、真実を知ることは簡単ではないし、とても危険なことだからである。

小池氏が在学していた1972年から1976年までは、彼女と同年齢の私の学生時代とかぶる時代である。

なんといってもナセル大統領(1918~1970年)の後を継いだサダト大統領(1918~1981年)の時代であり、彼女がカイロ大学の2年に入学したとされるのは、1973年10月6日に勃発したイスラエルとの第4次中東戦争が始まった戦乱の時代だった。

高齢者なら誰もが思い出すのは、東京・銀座からネオンが消え、主婦がトイレットペーパーを求めてさまよったことである。その理由は石油価格の高騰であり、日本は、OPEC(石油輸出国機構)の原油生産量削減にともなってアメリカの独占的メジャーの原油割り当てを下げられたからである。

小池氏の父親である小池勇二郎氏(1922~2013年)は実業家として海外との取引関係の仕事をしていた人物であり、日本の多くの黒幕とのつながりがあった人物だとされている。作家の黒木亮氏が書いた短い文章がネットで公開されている。

小池氏の父とエジプトの要人との関係

それによると、彼女の面倒をエジプトで見たのは、勇二郎氏と懇意にしていたエジプトの要人アベル・カデル・ハテムという人物だという。1913年生まれの政治家でナセルの革命に参加し、その後エジプトの要職を得て、日本とエジプトの友好協会の理事長を務めていたという。

1974年にサダト時代の副首相だったハテムは日本を訪問し、田中角栄や三木武夫にも会ったことがある。日本からの勲章旭日大綬章を授かったという。1974年といえば、石油ショックの翌年である。その勲功がこの受賞につながったのだろう。

日本は、長い間エネルギー資源の独立を探ってきた。多くの石油会社は欧米のメジャー系から割り当てられる原油を買ってきたことで燃料資源を欧米に握られていた。この独占を覆そうとしたのが出光興産だが、日本政府は石油ショックの際、困窮に陥った。

欧米の割り当てのみならず、中東諸国から敵国扱いを受けたからである。それがあの狂乱の石油ショックを生み出した。

石油不足を懸念した政府は、アラブの友人を頼って奔走した。ナイジェリアやアルジェリア、イランなどと交渉したのはそのときである。田中角栄が送った三木武夫を団長とする代表団はカイロに向かう。エジプトとの関係改善のためだ。

関西経済同友会の幹事だった小池勇二郎氏のところには当然話があったはずである。日本の中枢部と関係を持つ彼は、エジプトにも多くの知人がいたからである。その知人の一人がハテムであった。

小池百合子氏がエジプトで大学に入学したのは、まさに日本政府が派遣団を送った時期である。やがてエジプト政府は日本を敵国からはずし、日本はアメリカが提案する決議に反対することになる。

その決議は、中東諸国が提起したイスラエルの1967年の占領地域からの即時撤退という提案である。日本はなんとこれを暗に支持したのである。これはアメリカをいたく怒らせた。

やがてアメリカの国務長官だったキッシンジャーがやってきて、日本政府に苦言を呈するが、それがやがてアメリカの報復、すなわちロッキード事件となるというのはかなり知られた話である。

田中角栄の背後にいたのが、岸信介、小佐野賢治、児玉誉士夫、中曽根康弘といわれており、当然ながらハテムとサダトは、日本に対して恩を売り、日本も中東諸国の恩を返したということになる。

サダトは1981年10月の閲兵式で暗殺される。それによって政権は崩壊するが、黒木亮氏によるとサダト政権は腐敗にまみれていたという。とりわけ国内の経済悪化の改善のための日本政府からの援助を望んだのである。

こうした関係の中で、小池百合子氏の卒業は在学と無関係に認定されていったのかもしれない。サダトのナンバー2であったハテムにそれが不可能なはずはなく、政治的配慮の中でことは進んでいったのかもしれない。あくまで想像である。

カイロ大学はなぜ無言なのか

もしこれが事実だとすれば、現在のエジプト政府が日本政府に対して話を蒸し返し、卒業はなかったといえるかどうか、国立大学であるカイロ大学が学問の自由のために本当のことを言う勇気があるかどうかである。

日本人にとっても話は複雑だ。小池氏の卒業だけに問題が絞られているが、当時の政治的流れの中でそうなったのだとすれば、日本政府の問題とも絡んでくる。とりわけそれは、アメリカからの石油資源の独立の問題であり、アメリカからの政治的自由の問題である。

右翼といわれている面々が、日本を守るためにそれを行ったのだとすれば、そこにメスを入れる勇気があるかどうかということだ。もしそうだとすれば、小池氏がこれを暴露することは当然できないだろうし、日本政府もアメリカとの関係にまで発展させたくないであろう。

だからこそマスコミは、小池氏の卒業詐称という個人的な問題に終始し、その当時の日本とエジプトとの関係、そして小池氏の父親にさかのぼる、日本のドンとの関係に触れたくないのである。

もちろん、この学歴詐称問題が小池氏による自作自演の詐称行為ならば、この話と関係ないことになろう。その場合、この「わらしべ王女」の野心が打ち砕かれるだけのことである。

本当にそれだけなのだろうか。話題のもう1つの中心であるカイロ大学が、正式な発表をしないのはなぜなのか。私にはそれが気になる。

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